北九州まで
車を飛ばす
連絡がきて
30分後、保育園に迎えに行った
りおんが帰ってくる
GIとカイトは
まだ現場を出たばかり
子どもたちも
連れて出た
あったかかった?
かえりに あおちゃんがきいた
うん
あったかかった
これ以上細くなりようがない手を
ベッドの両端から
りおんと あたしでにぎる
声を掛け続ける
きつかったね
大丈夫よ
大丈夫よ
ありがとう
ありがとう
お父さんをありがとう
ありがとうって
言わんでってよ!
フッと声のほうへ顔をあげると
りおんが泣いている
あー、そうやった
また うなぎ食べに行こう!
いや、ラーメンが良かったんやったね!
焦点があわない
目がカッとひらいた
かまざわさんも
元気出してってよ!
また
これまでの反応とはちがう
声がでる
聴こえてるんだ!
みほよ!
みほ!
りおんよ!
細い棒みたいな手が
たまたまなのか
りおんの腕をつかむ
ほら
子どもたちもいるよ
れいくんが産まれたとよ
温かい手に
れいくんの小さい手を
にぎらせる りおん
子どもがだいすきだ
わかるんだ
やっぱり
大きな病院で
子どもの面会はダメだろうから
交代で 行こうと
言っていたが
身内なら10分だけと
ナースステーションからつながる
ベッドひとつの部屋に入れてもらえた
心細そうに
実の娘と孫が
あたしたちの
その様子を そっと見守っている
またくるね
はやく元気になってと
声をかけて
病室を出た
暮らしたことがない
3回くらいあったことがある
あたしの父親の 再婚者だった
49で
酒の飲み過ぎ、大腸がんで
その父親が亡くなったと
あたしの熊本で働いていた
エステティックサロン経由で
大垣で
これからどうしようかと
迷っていた
3才のりおんとあたしに知らせがきた
借金を返して
手元にわずかしか残らなかったけど
みほさんにと
その人が
あたしを探してくれた
わずかでも
それがきっかけで
大垣に残り生きていく決心になった
遠く九州から
言ったとおりに
ひとりで会いに来てくれた
それからは
毎年盆と正月に
みほさんがお世話になってますと
スタッフに手紙やらお菓子やらを
20年も
送ってくれた
みほさんから
お父さんをとったかたちで
ずっと気になっていた
お父さんは死ぬまでだいじに
この写真を持っていたと
見せられたのは
はんぶんカラーの
あたしの七五三の写真だった
あたし、2ヶ月から
その父親の父母の手で愛されて
きたから
あまり恨みもないかわりに
感情もきえていた
いつか
許せる日がくるといいけどと
言われたけれど
すでに他人事、
感情に入らないようシャットアウトしている
それは仕方がない
お父さんをありがとう
なんて
言ってるじぶんがいるんだと
変な気分だった
この人に最期を見届けてもらえたのは
人生最高のしあわせだと
思った
連絡しようか迷ったんですけど
と
あたしに言う
血のつながらない
連れ子だった娘に
ありがとう 知らせてくれて
と 感謝した
父とあたしの
深くつながらないみぞが
どんな思いだったかなんて
振り返ったことはないが
いっつも
ほがらかで
前向きで
元気じるしの
この人が
すごっく いい人だってことは
わかる
木曜日にしか帰れない
自衛隊の旦那さんが間に合うかどうか
わからないけど
いま、しておかなきゃ
あとが大変なことを
人気のない
一階ロビーで 話して
帰ってきた
365日
BAの絵手紙🌟歳時記
11月10日
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